咳
咳とまらん!
咳とまらん!
なんかやっぱ人と会うときの感覚が麻痺ってるのかなー 一般的にすごいとされている人とかに会ってもなんか、すげーって思わないんだよなぁ…… 「すげー!」ってネットで先に思って会うと「すげげげー!」って思うんだけどなぁ……
タワレコ行って試聴したら買ってしまった……実店舗ってこわいなぁ……
林や森の中で視点を固定すると、地上にいる気がしなくなる。どこか深い地中の中のどっかの空間にるように感じる。
写真と料理は似てると思う。一目みて上手いって思うのは味が濃いものだ。でも心に残るのは素朴なものだ。
KAREN を聞きながら寝ると Flapper のループでちょうど起きる。でもってあれは起きててもなんか夢みたいな感じになって、しばらくぼーっとする。
途中で書くことをやめた文章だけを集めたサイトとかあってもいい。
今日なんとなくひらめいて、気付いたけど、tumblr のリブログって、なんか、まさに、って感じの機能だなぁ。
「何かを言いたいけど、それを表現する術を知らない」っていうフラストレーションを持った人はたくさんいて、そういう人たちは世の中から「表現方法を知らないお前なんか知らねーよ」っていう冷たい扱いを受けていたわけだけど、リブログは、他人の表現を借りて、並べることで、その並び自体が、表現になって、誰かにその輪郭を伝えられるようになるっていうことができるようになってる。強い表現にはならないけど、ないよりはいいよなぁ。
書いてたらなんか今さらその話かよって感じだけど、やっと今日直感できたというか、他の経路で頭の中にあった、どうしたらそれをできるのか? みたいなことと繋がって、どきどきした。
あとなんか思ったのは、ファッションと tumblr ってなんか似てんのかなぁと思った。ゼロからのじゃなくて、日常的なもの、どっかから、誰かを借りてきて表現を代弁させる。
誰かが名指しで殺しにくる気がする。だいたい波があるんだよなぁ……
あんま写真撮ってるとき (外にいるとき) に神経質になりたくないので RAW で撮っております。階調と被写界深度だけ気をつけてホワイトバランスとかカラー設定とかあとからどうにかなる部分は全部オートです。撮って出しに価値があるように思わないなぁ。連続撮影枚数超えるような撮影するようになったら違うのかなぁ……
RAW 読みこみデフォルト (カメラ側の AWB がかかってる)
ホワイトバランス修正で全体的な雰囲気をイメージに合せる
ホワイトバランス以外の修正で部分的な雰囲気をイメージに合わせる
めちゃくちゃ腹が立つんだけど、方向がない。思い出し憤り
ちょっと前に見たんだけど、ほんとすごいなぁって感じだ。面白いとしかいいようがない。恋愛モノかと思ってたけど違うんだなぁ。
人間ごっこってのは、孤独を強くするゲームのことです。
なんなんだろ。なにもかもへのやる気、みたいなのが、一切消えてしまう日だった。キーボードさえ重い。
繋りがあんまりないような夢を3つぐらい見たという記憶がある。どれも思い出せない。
5月にやることが多い……
ひどかった。海老名で途中下車
過ぎてしまえば、どれだけの嫌な思いをしたとしても、そのうちに忘れてしまう。そして同じような他の人の気持ちがわからなくなる。言葉を使おう。記録を残して、感情を再現する。再読されない日記に意味はないのだと思う。ブログは古くなるが、日記は古くならない。誰かに継続しているからだ。
< cho45> はぁおんなのこに目隠しされて < cho45> 「だぁれだっ?」ってやられたい
いやまじでヘタに説明されるより「これのコード見ろ」のほうが断然嬉しい。
d.hatena.ne.jp 以下でレート5,4,3 (毎日読む) 日記の数が 392 だった。でも印象に残っててかつ会ったことない人は 10 ないなぁ…… あと十倍読んだとして 100 いるのかなぁ。やってみないとわからないからやるしかない。
フィード自体は 2000 ちょい登録してて、hatena.ne.jp だけで半分ぐらいあるなぁ。
ミーティングで鎌倉いって午後暇だったから写真撮ろうと思ってうろうろしてみたけど数枚撮ったところでカメラのバッテリ切れたうえに予備のバッテリも切れててふてくされて帰ってきた。
現像ひどい
なんかほんとモニタによって違うなー 写真の周りのふちどりは #000 じゃないんだけど、MacBook の液晶だと全く判別できずに完全に #000 に見える。
どっちかって言えば参考書開いて、他人の決めたカリキュラムに従ってちゃんと勉強できて、それが成果にでるほうが羨ましいなぁ。成果が一定に出せるってことじゃんすか。それができるならいちいちやる気のコントロールに悩むことはないのだし、社会の中での柔軟性があってダメ人間になりにくいんじゃないですかね……大学卒業までの一般的なプロセスって結局そういう人を確実に育てるためのものなんだと思う……
透明人間になりたいかどうかっていうのが全体的なポイントなのかなぁ。なんでおれは透明人間になってはいけないって強く思ってたんだろうなぁ。なんの影響なんだろう……
どうでもいいことだった。とにかくおれはムカつくことをどうにかしないといけないのだった。透明人間がいいかどうかに関わらずおれは透明人間が嫌いなのだし、それはどうしようもないことだ。
不安だなぁ……
ひだまりスケッチみてるっていう 5 話ばっかみるのアレだなーって思いはじめると 9 話ばっかり見るようになる
オリジナリティがどうとか言ってるのをみると、なんかもやもやする。お前の DNA のどんだけがオリジナルなんだよ的な
ページ内要素のドラッグでウィンドウうごかす http://lab.lowreal.net/test/mmm.html
なんかもっとおもしろいことできそうだなぁ。うざくならない程度におもしろいのがしたい。
だいたいの人は、幼稚園とか、小学校とか、物心がついたときから、環境を読みとって、立ち位置を判断して喋っている。空気読んでる。集団の中だと、普通はそうせざるを得ない。それをしなくて許されるなり、それをしなくて言われることを耐えられる強さなりっていうのも結局、ところどころで、環境が許している一定数で、それは運なのだと思う。「できる」ということの裏には常に、環境がそれをすることを許している、っていうことがある。
おれは極めて普通に育ってきて、思ったことをそのまま言うのは正しいことではない、環境・空気を読まないといけないと擦りこまれているから、本心では正しくないと思っていることを、行動してしまうことは多々ある。そのときの行動は、自動的で、自分っていうものがどうにかできるものではなくなってる。「どうにもできない」って考えることをやめればいい、という人がいるわけだけど、その「どうにもできない」と考えてしまうことが既に、どうにもできないことなのだ。そのときの無力な感じ、自動的な感じ、そして、その無力感さえもが、自動的なプロセスに組込まれている感じ、ループする。決定権なんて全くないように感じる。
それはとても希望がないけれど、いつも頭を過ることだ。意識というものさえ、化学反応の延長にあるから、反応を継続させていくだけの、自動的なことで、どうにもならない。「なるようにしかならない」はこれだと思う。
日記の文章さえ自動的に勝手に綴られるものだし、人工無脳がなんか喋っているのと何が違うのかわからない。
超絶やる気を失なって発狂しそうになったけど、inject っていうか reduce のおかげでまのがれた。不思議なタイミングだ
それがとても嫌だから、できるだけ関係性を断って、自分の自然なことをできるようにならなければと思ったのだったけど途中でそれた……
継続さえしていれば継続する中途半端さとして極端になる
青春を無駄にしてやってもなんの意味もないですよ。
フィルタリングは対象を自分で決めないと意味ない。
curlyBrackets を知った。
Object curlyBrackets := Object getSlot("method")
foo := {
"aaa" println
}
bar := {a,
"bbb" println
a
}
foo
bar(getSlot("foo")) # method は普通に書くと実行されてしまうので getSlot する必要がある。aaa bbb aaa
ちょっと他の言語に近づいた感じ。
もう少し変態的にしてみる
def foo (mes) {
mes println
}こういうふうに書けるようにするために def メソッドを定義する
def := {
name := call message next name
args := call message next arguments map(i, i name)
meth := call message next next
next := meth next
# cut message chain
meth setNext(nil)
# set the method to caller context
call sender setSlot(name, call sender doMessage(meth))
# set arguments list
call sender getSlot(name) setArgumentNames(args)
# pass to next message
call message setNext(next)
# return the method
call sender getSlot(name)
}# 引数なしなら仮引数省略可
def hogehoge {
"hogehoge" println
}
def piyopiyo (mes) {
mes println
}
# 引数なしなら括弧いらない
hogehoge
hogehoge()
# 引数ありなら括弧必須
piyopiyo("foobar")
Foo := Object clone do (
def foo (mes) {
mes println
}
)
Foo foo("alert")書いた式がどうコンパイルされたかは (前にも書いたけど) 以下のようすればわかる。
Message fromString("def foo (mes) { mes println }") code println
#=> def foo(mes) curlyBrackets(mes println)call message は呼びだしもとのメッセージチェイン (def foo(mes) curlyBrackets(mes println)) をさしてる。call message next は今のチェインの次、すなわち foo(mes) curlyBrackets(mes println) で、call message next name で先頭のメッセージの名前がとれる。メッセージを自分でとって doMessage することでメソッドを作って、呼びだしもとのコンテキストにセットする。setNext でメッセージをチェインを切ったり、スキップしたりする。
実際もっと簡単に
def := method(
ret := Object clone do (
foo := method(
self args := call message arguments map(i, i name)
self
)
curlyBrackets := method(
meth := method() setMessage( call message argAt(0) ) setArgumentNames(args)
context setSlot("foo", meth)
)
)
ret context := call sender
ret
)
def foo () {
"faaa" println
}
fooとかだと、method_missing 相当がないのでうまくいかない。(これは動くけど、foo 決めうちだからうごいてる)
method_missing に相当するのは forward だった
小学生のいぢめと一緒なので、一瞬たりとも反応をかえしてはいけない。見てみぬふり、心にとめる、そのことについて直接的なアウトプットを一切出さない、別の方法でアウトプットする、それが一番良いと思った。メモメモ。変換なしに脊髄反射のアウトプットを出しても、それでは情報処理装置としての人間の役目を果たしていないし、環境もよりダメな方向に行くだけで意味がない。
両親が昨日から旅行に行っているので、いつも母親の部屋に入りこむ猫がおれの部屋にくる。そのせいで5時ぐらいに起こされる。「げー」って思ってもっかい寝たら7時20分ぐらいに起きる。目覚ましが鳴ったはずだけど全く気付かなかった。あぶない……遅刻メールの作法がよくわかっておらず、そのメールを投げるとき考慮すべきことが多くて面倒だなぁっていう衝動で遅れないように気を使う。ネガティブで非コミュっぽい。表面的にはまじめに見えるだろうけどそうじゃない。
ヤカンでお湯を沸かしてインスタントコーヒーを作る。砂糖を入れまくる。カーテンを開けて、スティックパンを二つ食べる。食べおわったら部屋に戻り、Windows 機で開きっぱなしのニコニコのランキングを更新する。面白そうなのがなかったので電源を切り、MacBook でメールを確認し、Fastladder でレート5のフィードを読む。
時間になったので MacBook を閉じ、ケースに入れてからカバンに入れる。AC アダプタもカバンに入れる。サイフと定期を右ポケットに、小銭入れとケータイを左ポケットに入れる。ポータブルプレイヤーの電源を入れてヘッドフォンをする。カバンを背負い家を出る。鍵を忘れずに掛ける。
駅まで行く途中で何度か MacBook と AC アダプタを忘れていないかを確認する。忘れると死ぬからだ。
駅につくとだいたい電車がくるまで5分ぐらい余裕がある。天気や歩く速度でぎりぎりになったりもするので余裕がないと不安だ。行きの電車は乗り換えるまでまず座れない。ドアに寄り掛かってぼーっとする。立ちながら寝る。乗り換えで各駅停車に乘る。乗ったら座って次の乗り換え駅につくまで、カバンに顔をうずめて眠る。そして乗り換えをさらに二回する。今日は接続がよかった。よかったりわるかったりする。よくわからない。
帰る。電車がくるまで10分ぐらい待つ。都心の数分ごとのダイヤに慣れすぎている。タイミングが合いさえすれば眠る。乗り換え駅で起きたとき、右目のピントがどうしてもあわなくてぼーっとした。左目を閉じてぼんやりとしかピントがあわない状態で目の前の光景を見ると不思議な感じがした。乱視だからか頭を動かすと一定の箇所がピントがあったりして不思議だ。眼鏡をかけるほど眼が悪くないので想像しかできてなかった表現を思いかえす。ちょっと体感できた。時間が経つにつれて右目がなおってくる。
駅を出て、帰ってから何を食べるか考える。どうでもいい気がした。鍵をあけてリビングで、とりあえず猫の姿をさがす。元気そうだ。部屋に戻ってカバンをおろし、MacBook と AC アダプタを出す。めんどうなので繋がない。Windows 機の電源を入れる。押すだけ。風呂に入る。
出てからログインしたり screen のセッションを復帰させたりする。IRC のログを読み、メールをチェックする。フィードをレート3まで読む。ニコニコ動画を見る。絶望放送を聞く。
なんとなく日記を書く。傘を忘れたことに気付く。
[alias]
hub-url = !ruby -e 'puts (%Q{http://github.com/%s/%s/tree/master/} + %x{git rev-parse --show-prefix}) % %x{git config -l}.match(%r{^remote.origin.url=git@github.com:([^/]+)/([^.]+).git}).captures'
hub = !open $(git hub-url)http://github.com/guides/jump-to-github-from-your-repository のサブコマンド版です。サブディレクトリでもちゃんと飛ぶようになってます。
hub-url を分けてるのはリモートの git で open が使えないときでもコピペでいけるようにするため
今はしっかり一本開発してるプロダクトないなぁ…… かなりいろんなことがタイミングの問題で保留になってる。
なんか、背中から落ちて、杭みたいなのがたくさんあるところに落ちて死ぬ光景が最近よく瞼に写るんだけど、これはどっからきてるの
http://github.com/cho45/list-enumerator/tree/master
昨日 YAPC から帰ってきてからもそもそ作ってたけど妙に疲れた……
やってることは JSEnumerator とだいたい同じで、Moose 使って一部を Role として分離してリストっぽくつかえるやつに適用可能にしてみた、けど、なんかもっといい方法あるのかなぁ。
基本的に全部遅延評価されるので、DBIC の一行ずつとってくるやつと組合せるといいかもしれないけど試してないです。(リストコンテキストで評価した場合一部はリストで返したり、to_a を明示的によぶと ArrayRef 返すようになってたり)
rewind を一応実装してみたのはいいけど、あんまり信用しないほうがいい感じです。結局、クロージャもごもごやる Enumerator をチェインさせたりすると rewind がどうしても実装できないと思う。殆ど場合は問題ないと思うけど……
例によって % 使わない FizzBuzz
use List::Enumerator qw/E/;
use Data::Dumper;
sub p ($) { warn Dumper shift }
my $fizzbuzz =
E(1)->countup->zip(
E("", "", "Fizz")->cycle,
E("", "", "", "", "Buzz")->cycle
)->map(sub {
my ($n, $fizz, $buzz) = @$_;
$fizz . $buzz || $n;
});
p [ $fizzbuzz->take(20) ];
CPAN http://search.cpan.org/~satoh/List-Enumerator-0.01/lib/List/Enumerator.pm
__PACKAGE__->meta->alias_method("foo", \&bar); と *foo = \&bar; だとタイプ数的に後者使っちゃうなぁ……
ご飯食べてるとやたら憂鬱になるのはなんなんだろう……
どっか遠くにいきたいよお……
なんかこう、日本って狭いなぁ。英語できたらいいんだろうなぁ。でも日常的に英語使わない…… 必要がないと覚えない。
高校2年のとき、町田のデパートのエスカレートでふと思い浮かんだ30歳の自分っていうのがリフレインされる。
個性個性うるさい
表面的に自信があるように見せかけるスキル
バランスがぜんぜん、とれなくなっていて、すごく困る。ときどき心底感じるのですが、想像以上に僕は人間が嫌いみたいですね。
共有された情報から生まれてきた僕らが、個を保ったままそのうえにネットワークを築いて情報を共有しようとしているのはとても滑稽で愉快なことだと思います。
my $fib = fibonacci();
is_deeply [ $fib->take(10) ], [
0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34
];
is_deeply [ $fib->take(10) ], [
0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34
];にするか
my $fib = fibonacci();
is_deeply [ $fib->take(10) ], [
0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34
];
is_deeply [ $fib->take(10) ], [
55, 89, 144, 233, 377, 610, 987, 1597, 2584, 4181
];にするかで悩む。今は後者だけど、前者のほうがいい気がしてきた (同じように読んでるように見えるんだから同じものをかえすべき)。
前者に全部あわせた
途中下車 / 伊勢原
やる気に波がありすぎる…… 今月中にやらないとまずいことがいくつかある。頭の中で優先順位をつけてみるとなんかうけるけど、どういう順になるのかを書くことができない。もどかしい。
rewind 呼びすぎなんだよなー DBIC 側でキャッシュしてくれてるのかもしれないけどこれは気持ちわるくて使えないよなぁ。
なので rewind を全部なくしたブランチつくってみよう
ブランチつくってなおしてマージしたりした。0.02 でなおった
悪い意味で強烈に印象に残る夢を見た。なんかひさしぶりだ……
Plagger なかったら今 Perl 書いていたりしていないだろうな
`locate /.git/`.split(/\n/).map {|l| l.gsub(%r|/\.git/.+|, "") }.uniq.each {|repo|
Dir.chdir(repo) do
head = `git rev-parse HEAD`.chomp
remotes = `git rev-parse --remotes`.split(/\n/)
unless remotes.include? head
puts repo
end
end
}このコードだと、登録してある remote のうち、少くとも一つに push されていればいい、っていうことになります。
なんかもっといい方法はないかしら
昨日は結局24時前後に寝てしまった。
なんかいつもと違う感じだった。benpy を併発してたせいっぽい
個人的な日記を SEO する必要は全くなく (むしろ有害である)、はてなの場合はキーワードによる繋りのほうがより重要なのでタイトルはわりとどうでもいい、と思う。ブログは知らない。
朝の5時ごろ、下の階で母親が呼んでいるような声がして、起きて降りていったのだけど、誰もいなかった。洗濯機からでてきた女の子のいたずらだと思う。眠かったのでそのまま1階で寝たんだけど、ネコがすげーちょっかいを出してきて眠れなかった。痛い。
とりあえずコンセプトをきめよう。
なのでとりあえず
書けることがない。今このタイミングで何を書いても、全て嘘として扱われる気がする。べつにいいかもしれない。
将来への不安とか、そういう実体のある不安というよりは、
忘れていたけど、このストリームの存在意義はキャラクタ性を徹底的に排除・破壊して意味不明なことをやり続けることにあるのだから、一貫性があってはいけない。そういうことは「ブログ」でやればいいのだし、ついでにいえば自分は全くもってブログを書く気がない。キャラクタ性なんてものは対面で人と接するときにその場その場でいちいち新たに作られる一時的なもので、ゴミ収集がかかれば消えてなくなるものだ。そんなの対面のときだけやっていればいい。日記を分けるべきではないのだ。今はまだ、あるいはもう無理かもしれない。
Ruby でフレームワークを作っていたけれど、煮詰って眠くなって15時ごろに布団に倒れこんだら、そのまま寝てしまった。19時ぐらいまで眠って、起きたときやたら喉が乾いていたのでお茶を飲んだ。
ニコニコ動画を1時間ぐらい巡回して、いくつかマイリストに入れたり、マイリストが溢れたので削除したりした。
お金ないのにサーバ発注した (Core 2 Duo / Mem 2G で 28k ぐらい)。今買ってセットアップしないと機会を失いそうだなぁと思った。サーバがくるまでに時間を作ることを自分に強制する。
そろそろスポンジにいろいろ染み込んで飽和しつつあるので、あるタイミングで絞って外に出し、もう一度解釈をする必要がある。他人が出した情報を染み込ませるだけなのは人間としての意味が全くないし、それは成長とは言わない。そして他人からの情報は孤独をつよくもしない。
全てを疑ってかからないといけない。だいたい嘘とポジショントークだ。普通のこととポジショントークを混ぜたりするのはひどくタチが悪い。
いわゆる「偉い人」や、既に一定の地位を築いている人の言葉は、一定の保守のための言葉が入るので、情報としての純度が低い。それの振り分けにコストがかかりすぎるようになってきて、ハムに分類されたものに同じことの繰り返しがみられるようなら、もう意味がない。
そういえば、昨日か今日に github でソースコードの行数指定のコメントを英語で貰って、おーって思った。(このコミットいいんだけど、デバッグコードが残ってるよ、みたいな、単純なことだけどとても感動する。)
あと、ローカルの git repos を管理して一覧にして見たりしたいのでそういうアプリを書きはじめたりしたけど、Watcher が予想外に増えてびびっていたりする。どうやって実装しようかで悩んでいるから開発がちょー遅い。
というかいろいろやりたいことありすぎる……
本当に、誰かを憎まずに生きていきたい。
そもそもあんまり生きている気がしない。今この文章を書いているこれは誰なんだろう。
学校行かなくなってから少しずつ良くはなっているはずだ。常にじゃないけどたまに実感する。でも次にどうするか、どこにいくかは分からない。
今日はなんとなく、まくらを逆にして寝てみる。
ああああああああああ 忘れてた。最近 Hiveminder 見てなかったからなー
どうやって買いにいこう……時間ないよなぁ……
[niconico:sm3463399]
いいまとめ! 竹迫P++
僕はデザインをやらないんじゃなくて、本当にできないのです。僕は人のために何かしたり、人の行動をよく想像してその人になりきることができないので、相手の立場に立つことが要求される「デザイン」をすることができない。(ペルソナ法を使おうとしたりするときでも、自分が嫌いなタイプの人間について想像を巡らせることができないのであんまり意味がなかったり)
ターゲットが自分と重なっているときはデザインのように見えることがあったりなかったりするけど、そんなの超稀すぎる。ライブラリのデザインなんかはそれだからいいけどなぁ
yabai
明日も余裕ないなぁ…… 明日の昼休みに気合で検証とかしないと無理かもなぁ。あとは徹夜して電車で寝るか
最近書いてなかったけど、文乃さんはヤバいよ。
一度にいっぱい幸せにしようとするのは非常に困難なんだから、そういう問題はできる限り切り崩して一つ一つ解決していくしかないと思う。全体ばっか見て平均をとったってしかたない。実際のところ、みんな幸せになるシステムよりは、誰かを不幸にしない限りに特定の人々を幸せにするシステム、のほうがターゲットユーザがハッキリしていてうまくいくのだと思う。
誰かを不幸にしない限りに幸せを増やすことは、継続していけば巻き込まれて幸せになる人がでてくる。システムっていうのはそういう関係性の継続的な改善を目的にすべきで、一発なんかやってみんなオールオッケーみたいなのは目指すべきじゃないしそんな魔法は存在しない。革命や道徳がひっくりかえることをしても誰かは不幸になって意味がない。
僕が考える理想の社会ってのは、クラスベースオブジェクト指向 + アスペクト指向のみたいなイメージなんだと思う (そもそもアスペクト指向への理解が浅いのでイメージが間違ってる気もする)。クラスは地域的なもので、逃れられない。インターネットはそれを横断して補完し地域性とは別に社会をわけて作ってる。
やっぱ現実世界でさっさとファートクラスな継続を実装すべき。というかされてるの? 気付いてないだけ?
あとちゃんとソースを公開して欲しいですね。リファレンスがないのはいいけどソースコードないのはキツいよ。
努力が報われない程の不思議な世界なのだから、洗濯機から女の子が出てくるぐらい普通なのだと思いますよ。
WAF 側で autoload 頑張っても Rack が autoload してなかったら全然ダメだよなーって思ってソース覗いてみたら、フルで autoload しまくってた。Rack++ require "rack" した時点だと rack.rb しか読みこまれない。
あと RubyCocoa の standalonefy の汎用版が欲しいなぁ。gem collect [script name] みたいなので lib 以下に集めたライブラリを突っ込んで、カレントディレクトリに単純に lib を読みにいくようにするだけの rubygems.rb をおく、みたいな。
DVD かった。内田氏がかっこよすぎるなぁ…… 笑ってる顔がほんといい。見ていて幸せになる……
http://d.hatena.ne.jp/m_seki/20080528#1211909590 を呼んでて、ナルホドナーと思いつつ、こうすることにした
body, *layouts = [<<EOB, <<EOL1, <<EOL2]
<%= foo %> and <%= bar %>
EOB
<div id="content">
<%= content %>
</div>
EOL1
<html>
<head>
<title><%= title %></title>
</head>
<body>
<%= content %>
</body>
</html>
EOL2
stash = {
:title => "foobar",
:foo => "aaaaaaaaaa",
:bar => "bbbbbbbbb",
}
require "ostruct"
s = OpenStruct.new(stash)
def s._render(_template)
_template.result(binding)
end
puts layouts.inject(s._render(ERB.new(body))) {|r,i|
s.content = r
s._render(ERB.new(i))
}def のシンタックス使うと内部の binding が変わってくれるので特異メソッドを def で定義してよんでみた。s._render で変数を極力使わないようにすれば、ERB 側でありがちな変数を書いてダメぽとかになりにくい
はてなでの勉強会への参加のために京都にいってきた。勉強会はゆっくりもっさり喋ったりしたけど、図とか入れないとなーって思った……とても分かり難い説明で申し分けなかったけれど、逐次質問してもらえたのでとても楽だった。本当にありがとうございますっていう感じだった。オレいつもいつもダメスwww
そいでついでに京都みてまわってきた。なんか観光は全くノープランでやってみたのだけど、いろいろと予想外だった。
一日目はいわゆる観光っぽいことはせずにぶらぶらしてみた。そもそも観光ノリじゃなくて、普通に歩いてみようと思って市内を歩いて鴨川をひたすら下ったり。(なんか観光っていう消費活動に直結して慌しく見てまわったりをやりたい気分じゃなかった。)
よくわからないけど、あんまり京都にいるって感覚ではなくて、不思議な感じだった。日本語は通じるわけだし、めちゃくちゃ何か違うってわけではもちろんないのはわかりきっているんだけど、修学旅行のときはもっとこう、京都にイルナーっていうのがあったのになーって思ったりした。修学旅行の気持ちってのはどこに行くかじゃなくて、誰と、どう行くがなんだろうなぁ。
あと、そんなこと言ったってどうせ鎌倉と同じノリで歩けば神社か寺に遭遇するだろって思ったんだけど、そうでもなくてかなりバスとか駆使して能動的に行こうとしないとだめだと言うことに気付いた。市内ワリト広スww バスワカラナスww どこ行っても同じ道にミエスwwww
二日目の午前中はなんとなく嵐山に行きたかったので (修学旅行のときは行かなかったし) 行って歩いたりした。言葉にできない奇妙な感覚がずっとついてまわっていて (それは帰ってきてからもだけど)、よくわからない。
午後は清水寺になんとなく行きたくなったので行ってみた。修学旅行で行ったはずなんだけど、全然覚えていなくて、代わりにらきすたの修学旅行のシーンが浮かんで愕然とした。
生徒さんたちがちょー多くてすごかった。どっかの学校ではチェックポイントになっているっぽくて、
などという今となってはファンタジーフィクションとしか感じられないようなシチュエーションを見かけて無闇に感動したりした。
あとは伏見稲荷大社に行って一番上まで登ってみた。ここは本当にすごいなぁ。時間的にもう夕方だったし、平日だったせいもあるのか人はかなり少なかった。千本鳥居もそうだけど、山全体がほんと鳥居だらけでおもしろかった。
帰ってくるとき、関東圏でもたぶん面白いところはいっぱいあるはずなのに、あんまり行かないよなぁと思った。小田急沿線を全部降りて土地を知ろうとするぐらいの気概があってもいいよなとか考えたりしたけど、日常の中にそれを組込むのは結構きついよなぁ。とりあえずあじさいが咲いたら新松田と調布と鎌倉にいこう。
I・N・Mってこんな唄だったっけ……めっちゃいいなぁ……
リアルやばす。最後でやっと DVD かー